岡山城跡(伝旧本丸跡)
現存する岡山城跡は戦国乱世の備前国を統一した宇喜多直家の子の秀家が天正18年(1590)から慶長2年(1597)にかけて築城した城郭を中心にして、その後の城主の小早川秀秋・池田忠継・池田忠雄の増改築を経て、寛永年間初期(1620年代)にかんせいしたものである。完成時の岡山城は、本丸を中心にしてニの丸、三の丸が南から西に広がる梯郭式の縄張りであったが、本丸と二の丸内屋敷の曲輪の一部を遺して、市街地に埋没してしまっている。この説明板を設置している周りを石垣で固めた郭はニの丸内屋敷の曲輪の中心的な郭をなしているが、絵図には櫓などの本格的な城郭建築物が描かれてなく、どのように使われていたかは不明である。この郭は直家が元亀年間(1570-73)に築城した石山城の本丸の位置にあたると伝えられ、旧本丸跡と称されている。明治維新後、この地に池田家の祖廟が設けられていたが、先年移転された。
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